一人で海外旅行に行く必然性
海外旅行というのは前々から日程を決めて、準備万端で挑むものであって決して突発的に行うものではない。
3週間後にベトナムに行きます。
ベトナムに以前から行きたいとずっと思っていた
訳ではなく
友達に誘われてベトナムに行く
訳でもなく
なんとなく申し込んだ。しかも一人で行く。
理由など何もなく、本当に突発的に、さっき行こうって決めてワンクリックでポンと申し込んでしまった。
強いて理由を挙げれば安かったから。3万6000円で飛行機代込で3泊4日。丸々一日フリーが2日間。
卒業までの残りの半年間をどうするか。
確かに麻雀漬けの日々で麻雀を極めると言ったが、それだけではあまりにも虚しすぎる人生というもの。
来年の4月から65歳まで社会という檻の中にぶち込まれる(実質無期懲役)訳だから、この時間が有り余る贅沢な状態は、これを逃したら40年後までお預けという訳だ。
社会人になってからハードルが上がるもの。それが旅行である。
そう思い立った僕は怒涛の勢いで旅行の予定を入れ始めた。
9月 千葉旅行(済) 長野旅行(済)
10月 ベトナム旅行 大阪旅行 奈良旅行
11月 沖縄旅行 九州一周旅行
12月 インド旅行(仮)
1月 ヨーロッパ旅行
2月 フィリピン旅行
3月 タイ旅行
麻雀を極めるといった話はどこへ行ったんだと思われそうだが安心してくれ、旅行はあくまで特別なイベントであって日常的には完全にアカギになる。
そもそもなぜ今回""一人""で海外旅行なのかという点について一点補足しておきたい。
海外一人旅をした事がないのでそれをしたいというのもあったが一番は「一人で行かざるを得ない現在の状況」にある。
考えても見て欲しい。
「ふらっとラーメン屋に立ち寄って一緒に食べれる友達」を想像すると一定数ぱっと浮かぶだろう。
しかし「二人っきりでも旅行に行ける友達」となると求められる友好度・親密度が格段に上昇する。
孫悟空の界王拳発動時の10万程度の戦闘力で騒いでたら「私の戦闘力は53万です」といきなりインフレするフリーザ様。そんな世界である。
その「二人っきりでも旅行に行ける友達」というエッフェル塔もびっくりのあまりにも高すぎるハードルを乗り越え、ようやく第一関門突破である。
第二関門として「学生である事、しかも文系」が求められる。
僕は本来15卒なので当然周りは社会人になっている訳で、残った学生も理系であれば研究室が忙しくとても長期旅行は無理そうな先入観がある。
第一関門を突破しつつ、「未だに学生をやってる大学生の生き残り」を更に見つけなければならない。至難の業である。
さらに第三関門として「ある程度のまとまったお金がある事」が求められる。
奇跡的な確率で、二人っきりに旅行出かけても気まずくなくて未だ大学生をやってる天然記念物に遭遇したとしても、最終関門「お金」が待っている。
国内旅行に一緒に行けても海外旅行には行けない友達がゴロゴロいる。それもその筈、海外旅行とは大金はたいて身を削って行く旅行である。彼女や彼氏と行くならまだしも、そんな一瞬の思い出をワケの分からん奴と行きたい訳がない。
また針の穴を通すような薄い確率を引いて、行きたい奴がいたとしてもお金を持っていなければ話にならない。
「時間がなくお金があるのが社会人
お金がなく時間があるのが学生」
まさにその通りである。第二関門まで突破した人でも大体このファイナルステージで脱落していく。完全にSASUKE。
話がかなり冗長になってしまったが、要するに海外旅行一緒にいく友達がいませんて事です。
おしまい。